好学の藩主によって、城下には学問や芸術に高い関心を持つ風土が生まれ、その結果多くの文人を輩出することになる。中でも佐野家は代々数多くの偉人を輩出した家である。 初代は小笠原家の時代から侍医として召し抱えられ、以来400年もの長い間医家を営んできた。武家屋敷とはまた異なり、主を医者に持つ家屋敷の風情を感じながら巡ってみるのも興味深い。 主屋が建てられたのが1782年、現存する邸宅の中ではもっとも古いものとされる。 始祖となる佐野徳安(とくあん)は、伊賀国名張郡出身であったが、大阪夏の陣の戦乱を避け伯父の暮らす豊後竹田に移住、その元で医学を学び、後に杵築藩に仕えることとなる。佐野家が興味深いのは、医家として藩に仕え名を残しながらも詩文や書画、あるいは茶道、俳諧の分野においても多くの著名人を輩出したところ。 佐野家の人々が三浦梅園や田能村竹田らと深く交流した様子が史実に残っている。 医学を究めながら芸術を愛するこの家の高い教養が佐野家の伝統の中に息づいてきたことを屋敷は静かに物語る。 (2020.12)