日出藩の罪人処刑場跡地で供養塔が建てられています。11代藩主木下俊懋が松屋寺(しょうおくじ)住職大蓮和尚に命じて寛政11年(1799)に建立しました。供養塔の下に、法華経69384文字を1字1個の小石に書いて埋めてあるといわれています。成敗場がこうのような形で残されているのは全国でも珍しいことです。また、元和10年(1619)、家老職であったキリシタンの多賀山半衛門が初代藩主木下延俊より棄教を命ぜられました。しかし、それに従わずこの地にて殉教しました。その息子ディエゴ(当時5歳)もこの地で殉教しています。平成19年10月、加賀山半左衛門親子が福者に列せられたことを記念して、この成敗場跡地に隣接して「日出殉教公園」がカトリック大分教区の手により建設されました。また同年10月7日には、異例の松屋寺・カトリック大分教区による宗派を超えた合同慰霊祭も行われました。