六郷満山霊場15番札所です。お寺のある朝来地区はその昔国領でした。護聖寺の名はこの大切な国領を守る意味からつけられたと言われています。武家が政権を握る鎌倉幕府の時代になると、六郷満山の寺々は衰弱し廃寺となる寺が続出しましたが、護聖寺もその一つでした。その後、室町時代に曹洞宗の僧によって再興され、曹洞宗・興国山護聖寺と名付け、代々の和尚が守り続けていましたが、現在は無住職のお寺となっています。本堂の裏手にある板碑が二基立っていますが、そのうちの1つは正応4年(1291)に作られたもので、県内で最古の板碑です。